「劣等感」と「劣等コンプレックス」の違い
こんにちは。
今日は、似ているようで全然違う「劣等」について。
皆さんは「劣等感」と「劣等コンプレックス」の違いが何か分かりますか?
同じような言葉に見えますが、この2つにはとても大きな違いがあります。
今回は、心理学的なものも少々絡めながら、この2つの感情をコントロールしていく方法をお教えします。自分を変えて行きたい方は必見の記事となります。ここにはかなり大きなカギが潜んでいることでしょう。
さて、あなたは「劣等感」を持っていますか?
それは「誰か」に対して持っているのでしょうか?
その「劣等感」は、あなたにとってどのような感情をもたらしていますか?
例えば「あいつは頭が良くてどうして自分は出来ないんだ!」とか「あいつには可愛い彼女がいるのに、自分にはいない!」とか「あんなヤツに負けている自分ってなんなんだ!」「あいつは高給取りなのに、自分は全然負けている・・」とか。
劣等感の塊ですね・・・心中お察しします。
ところが実は!!!
「劣等感」というのは自分にとって「敵」ではなかったのです。劣等感を持っているからこそ、それを原動力にして人は前に進む事が出来るんです。
つまり「あいつは頭が良くてどうして自分は出来ないんだ!」「くそー!自分も負けないように勉強しよう!とか「あいつには可愛い彼女がいるのに、自分にはいない!」「くそー!あいつに負けないくらいの彼女を作って見せるぞ!」とか「あんなヤツに負けている自分ってなんなんだ!」「くそー!あんなヤツに出来て自分に出来ないワケないじゃないか!」とか「あいつは高給取りなのに、自分は全然負けている・・」「くそー!あいつを少しでも上回るように頑張って見せるぞ!!」とか。
その劣等感全部を原動力に変えられるんです。目標を掲げ、とても前向きですよね。
心理学的にいうとこれは「優越性の追求」ということになります。まず人は、無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態を脱したいという、普遍的な欲求を持っています。それが「優越性の追求」です。
急に難しい言い回しになりますね。要は、
「劣等感」は「向上したいと願うこと」「理想の状態を追求すること」を持ち合わせているということです。
残念な「劣等コンプレックス」
さて、それでは「劣等コンプレックス」とはどういった感情のことだと思いますか?
劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。
具体的には「私は学歴が低いから成功できない」「器量が悪いから結婚出来ない」など「AだからBが出来ない」という理論を振りかざすのは、もはや劣等感の範疇に収まらないということ。これが「劣等コンプレックス」になります。
劣等コンプレックスはとても厄介で、本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように、自らを説明し、納得させてしまう。
自分の「劣等感」自体を単なる言い訳にして生きて行くのは、ある意味ラクな生き方だとも思います。自分で感じる「劣等感」を「武器」にして「何も変わらなくても良い状況」を作るワケですから。そこには向上心も、理想を追求することも、そのために新しく何かを学ぶという事すら必要ありません。
ゆえに「劣等コンプレックス」で日々動いている人は「〇〇だから、自分は成功できない」という言いわけを隠れみのにして、実は「自分から成功しないようにしている」のだそう。
自分から「成功しないようにしている」
まさか、そんなことってあるんでしょうか。
残念ながら、自分自身を「劣等コンプレックス」で支配している人は、まさにそうなんです。「あんな風になりたい、でも自分は何も知らないから無理だ」に隠された心理を読み解くには、次の説明を聞くと少し納得するかも知れません。
彼らは「現状は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられないのです。受け入れずに「どうせ自分なんて」「どうせ頑張ったところで」となぜその「一歩踏み出すこと」が出来ないのか分かりますか?
答えは簡単です。
彼らは一歩前に踏み出すことによって派生する「現実的な努力をしたくない」のです。今現在の楽しみ、例えば遊びや趣味の時間を犠牲にしてまで変わりたくない。ライフスタイルを変える勇気を持ち合わせていない。
多少の不満や不自由があったとしても、今のままでいたほうがラクだからです。
劣等コンプレックスに支配されている人は、裏を返せば現実的でない自分の有能さを誇示してしまうこともあります。例えば
「自分は学歴さえ高かったら容易に成功出来ていた」という有能さの暗示。たまたま「学歴」という蓋に覆い隠されているけれど、「本当の自分」は優れているのだと。
こういう風にまた1つ「劣等コンプレックス」は「優越コンプレックス」へと姿を変えて行きます。
強い劣等感に苦しみながらも、努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気も無い。「出来ない自分」も「やろうとする自分」も受け入れられない。そうなると人は「もっと簡単な手段で補償しよう」と考えるようになる。
そこに待ち構えているのが「優越コンプレックス」です。
あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです。
その根底には強烈な「劣等感」が潜んでいます。
これを矯正していくには、自らの足を一歩前に踏み出す他ありません。
健全な「劣等感」とは他者との比較から生まれるわけでなく、理想の自分との比較から生まれるもの。いまの自分より前に進もうとする事こそに価値があるのです。
あなたは「一歩前に踏み出す」という単純な作業で自分を変えていけば良いんです。
あなたが自分を変えたいと思わない限り、あなたは一生変われません。
「どうせ自分には無理」を捨てましょう!
大丈夫。自分を変えたいと思ったから、あなたはこのサイトに辿り着いた。今までの自分を打破して、ポジティブシンキングな世界を見たいと思ったんですよね。
素敵な選択だと思います。
年齢や性別は関係ありません。変わろうとする時期に早いも遅いもありません。
あなたが変わりたいと思った時がそのタイミングだっただけです。
今更とか、この歳になって遅すぎるとか関係ありません。それは、劣等コンプレックス以外の何ものでもありません。
自分の嫌いな部分が少しずつでも変わって来たら、本当に自分のことを好きになって来ます。
自分を好きになる、ということは自分を認めてあげることが出来た時です。
あなたはやっと、ありのままの自分を許せるのです。そして、自分自身が向上したいと思え始めるのです。
「今この」転換期を感じてください。
あなたの転換期は、ここに訪れた「今」なのかもしれませんね。
思い出してください。
人生は意外とシンプルです。
「自分を変えたい」と思うか、思わないかのみ。
あなたを全力で応援します。一緒に変わって行きましょう。
NEXT:言葉の顔