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6 自分が嫌いな人必見!絶対に自分は変えられる。アドラー心理学に見る「一歩踏み出す勇気」とは

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自分が嫌いな人必見!絶対に自分は変えられる。アドラー心理学に見る「一歩踏み出す勇気」とは

こんにちは。

今日はあなたが一歩踏み出す勇気を与えにきました。

突然ですが、みなさんは自分のことが好きですか?嫌いですか?

更に、ご自分の心理というものを読み解いてみたいと思ったことはありますか?

ここでは、あなたにとってより良い人生を手に入れる為、自分自身を深く知る事を目的とし、更に自分を変えて行く事を最終目的に考えていきたいと思っております。

私たちが生きるあらゆるシーンでは人間の色々な心理が働き、1つの社会を形成しています。そんな中で、自分はどのような心理で行動しているのか、というところを掘り下げていきましょう。「自分自身を知りたい人、好きになりたい人」必見です。

さて、さっそくですが、心理学者というと誰の名前が浮かぶでしょうか?

フロイトですか?ユングですか?

日本では、医学の世界でもフロイトの心理学は大きく影響をしていますね。

あなたがよく聞く「トラウマ」という概念も、フロイトが説いています。

では軽くフロイトを紹介します。

ジークムント・フロイトは、元々オーストリア出身の精神科医で、精神分析の創始者。心的外傷や意識と無意識の概念など、後の精神分析や心理学に大きな影響をもたらす理論を発表している。そのフロイトのことを父親のように慕っていたのがユングです。

フロイト、実は医師だったのですね。

いま日本に住む私たちが触れている「心理学」とは、ほとんどがこのフロイトの理論を基盤にしているものだと思います。

しかし、このフロイトの理論を真っ向から否定する心理学者がおりました。

それは、フロイトと比較的年齢が近かった「アルフレッド・アドラー」という心理学者です。日本では、フロイトやユングの名前ばかりが取り上げられますが、世界的にはフロイトやユングに並ぶ三大巨頭の一人としてアドラーの名前も必ず言及されます。

では軽くアドラーも紹介します。

アルフレッド・アドラーもまたオーストリア出身の医師で、当時の「診断と実験」重視の医学界には珍しく「患者への心遣いや礼儀を持つ善良な人がいい医者になれる」と常に考えていたような医師でした。

フロイトは、アドラーの医師としての能力や論文を高く評価しており、自身の勉強会に誘ったことがきっかけで、アドラーはフロイトの勉強会に定期的に参加するようになります。しかし、アドラー自身は自分を「フロイトの弟子」だとは思っておらず、やがてフロイトの理論に異を唱えるようになります。フロイトは自分に反論するアドラーに対し怒り、その後フロイト派とアドラー派に分かれたグループは激しく対立し、理論闘争から激しい感情的な争いを起こしていきます。

確かに、フロイトの理論とアドラーの理論は正反対の理論が多いようです。そもそもの考え方が全然違います。

フロイトの理論「原因論」と、アドラーの理論「目的論」とは

フロイトとアドラー、そもそもの根底理論が対極にあります。

フロイトは、その人の全ての行動は過去に原因がある、という理論。

アドラーは、過去の出来事は1mmも関係なく「今ここ」で行動せよ、という理論。

多分、どちらが正しくてどちらが正しくない、という事は無いのだと思います。

ただ、私は「アドラー心理学」を知る前から、自分自身がアドラー的思考だったようで、アドラー心理学に行き着いた時に、物凄く共感できる部分が沢山ありました。ですので、そういう意味では私は「アドラー派」であり、アドラーの「目的論」を支持しています。

自他共に認める「ポジティブ思考」の方々は、もしかしたら「アドラー的思考」の持ち主なのでは無いか、とさえ思います。というのも、フロイトの「原因論」は、ともすれば自身の劣等コンプレックスを武器にして、全て「過去のせい」「人のせい」にできてしまう側面があります。しかし、アドラーの「目的論」は、シンプルに全て「今現在は自分が選択してきた結果」「現状を変えるには自分が変わるしかない」というもの。

「原因論」を基盤に生きて行くことと、「目的論」を基盤に生きて行く事を考えると、「目的論」のもとに生きて行くほうが確実に「ポジティブ」だと思うのです。

フロイトが説く「原因論」とは

フロイトが説く「原因論」をザックリと説明します。

原因論とは、いわゆる今現在の状態には過去によるなんらかの原因があり、それが今現在のあなたに影響を及ぼしている、という考え方です。

先にも書いたように、「心的外傷(トラウマ)」「意識と無意識(自我・エス・超自我)」などを説いているのが有名。というか、もはや現代社会の「常識」のように扱われていますよね。

自我:家族や学校・社会などの外界に触れる中、自分のワガママや欲望だけ通して生きて行くことなど出来ない、という事を学び、外界からの圧と無意識の世界を自分の中で上手く調整し、学習して現実と戦う心理状態を自我と呼びます。

エス:人間の精神の最も深いところにある「無意識」のこと。何が良いか、何が悪いかなどを一切考えず、ただひたすら自分の快楽と解放だけに向けた力をエスと呼びます。

超自我:親、先生、上司などの教育や躾を通して自分の中に形成されて行く「良心」のこと。「自我」が「エス」を変形させる時に、周囲や世の中を傷付けたり迷惑をかけないように変形させるよう自分自身に指示を出すのが「超自我」です。

無意識の世界で説かれるものの1つに「夢判断」があり、フロイトの理論はここにも影響を及ぼしています。

アドラーが説く「目的論」とは

アドラーは、『我々は「原因論」の住人であり続ける限り、一歩も前に進めない』と説いています。過去の出来事によって現在、未来が決定されるべきでは無い。つまり「目的論」は心的外傷(トラウマ)を明確に否定し、トラウマなどは存在しない、としています。人の行動は、過去ではなく目的で決まる、ということです。これはまた後に、詳しく説明します。

それとよく、精神分析などでは「人の心と体は別々のものだ」と切り分けて考えられますが、アドラーは「意識的か無意識的かは、どこにスポットが当たっているかの問題で、その人の一部であることには変わりは無い」という「全体論」を説いています。

全体論の考えでは「意識と無意識で分離されている」とか「体と感情が乖離した行動をとる」ということはあり得ません。これを見るだけでも、フロイトの理論とは対局ですよね。

ゆえに「本当は〇〇したかったのに、出来なかった」「〇〇しないつもりだったのに、してしまった」といった矛盾は生じないのです。どんな言葉で取り繕うとも、その人がしたこと、目的が行動として表れたものが全てであり、それは同じ方向を向いている、というのがアドラー心理学における人間性の捉え方です。

つまりアドラーの「目的論」は、堅苦しい学問の域ではなく、人間理解の心理、また到達点として受け入れられているもの。しかし、人によったら逃げ場の無い、とても厳しい心理学かもしれません。「人のせいにできず、全ては自分のせい」というわけですからね。

アドラーの理論は、全て「目的」にそって位置付けられます。この厳しい理論は時代を100年先行したと言われる思想でもあり、まだまだ時代が追いつききれていないそうです。彼の考えは、それほど先駆的なものでした。

しかし彼がこの理論を作ったのがおよそ100年前だとして、100年先行した思想だと言われていたものだとすると、いま現在がその「先行した100年先」と考えられますが、それでもまだ、彼の理論に対して今の時代も追いついていないように感じます。

だいたいザックリと、彼らが説く理論の方向が分かったことと思います。

アドラー心理学は「ギリシア哲学」と同一線上にある思想であり、哲学です。

アドラーの思想、哲学は、世界的ベストセラーの「人を動かす」や「道は開ける」で知られるデール・カーネギーや、スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」でもアドラーの思想に近い内容が語られています。

この他にも、よく考えてみると今まで読んできた本の中に、アドラーの思想が散りばめられていたものが多くあったような気がします。

お次は、このアドラーの理論をもとに、場面に応じた「人間の心理」をわかりやすく説明し、どう変えていけるのかを説明しようと思います。

 

 

 

 

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